馬路村農協はこんなところにあります
静かに流れる清流・安田川のほとりに馬路農協の本所や、ごっくん馬路村をつくっている加工場「ゆずの森」があります。山里の四季を体感しながら一年が巡っていきます。夏には川でとったあゆやうなぎで宴会もしよります。ゆずの森加工場はおかげさまでたくさんのお客様や視察の方々が来てくれて、一年中大忙しです。ゆずの生産から加工販売まで、プロセスはどこにも負けない自信があります。
20年を超えるロングセラー「ごっくん馬路村」
一度口にするとやみつきになり、これじゃないといかんという声をたくさんいただいております。
かつおのタタキにはもちろんのこと、お鍋、サラダなどなんにでも使える万能ゆずポン酢。
昭和62年秋、馬路村では柚子が大豊作になりました。
「こんなにたくさん柚子が採れたら新しい商品を開発して、消費拡大をはからなぁいかん」と毎日毎日考える日が続きました。そして、農協のおんちゃんは「自分の子どもに飲ませたいジュースは?」と研究をはじめました。
キーワードは馬路村のとっても香りのいい柚子、村を流れる安田川の清らかな水、あまくておいしいハチミツです。おいしくないと子ども達が飲んでくれない、安全でないと飲ます気になれない。なんどもなんども試作を繰り返し、ようやく生まれたのが、この「ごっくん馬路村」です。「ごっくん馬路村」は村の広告塔として、多くのお客さんに励まされながら、20年を超えるロングセラー商品となりました。
これからも私たちはこの「ごっくん馬路村」を永遠の飲物として育てていきたいと考えています。
何にでも合う!馬路村のゆずポン酢・「ゆずの村」
「ゆずの村」は昭和61年に発売開始したロングセラー「ゆずぽん酢」です。
昭和63年には「日本の101村展」で大賞を受賞しました。
当初は水炊き、ちり鍋、湯豆腐など、鍋物をこのぽん酢で食べてもらいたいと思ってつくりましたが、まろやかなかつおだしと自慢のゆずの絶妙なバランスは生野菜などに和風ドレッシングとして利用したりギョウザ、冷やっこ、お刺身、焼肉のタレなど、お客様からたくさん用途を広げてくれまして、今では「何にでもあう」と、食卓で一年中利用されるぽん酢となりました。「いろいろ食べてみたけんど、やっぱりこれじゃないといかんがよ」という声をいただく度に、がんばる力が湧いてきます。
ゴツゴツと形は悪いけど、自慢のゆずを使用しております。
馬路村農協が販売しているゆず製品は、農家さんが手間をかけて有機農法に順ずる形で育てたゆずのみを使用しており、ゆず加工品自体も保存料・着色料等は使用しておらず、お客様が安心して食べられるものを届けております。食べるものはおいしく、安心で、楽しいものでなければならないと思っております。
柚子一筋。ユズの里、高知県馬路村。
それはそれは、くねくね道です。山もあり、谷もある険しい道です。そして大小のかべにあたりました。多くの出逢いと感動と学びの道です。小さな小さな黄色のゆずが私たちの友達であり、案内人です。先人たちもこの柚子と暮らしてきました。相変わらず、山村の暮らしは険しく、くねくね道ですが、私たちは柚子一筋の道を元気よく歩きたいと思っています。
時代は昭和の終わり、60年ごろにさかのぼります。ゆずの消費を延ばそうと農協のおんちゃんは次々に商品開発を行いますが、当時は大量に売れる商品は考えていませんでした。理由は、大量に作る施設をつくるお金(資金)がなかったからです。そんな中、昭和62年はゆずが四年に一度の大豊作になりゆずの価格が下がってしまいます。ゆずの将来に暗雲が立ちこめ、農協のおんちゃんも、農家も不安になりました。
こういうときにこそ、一発逆転の発想で商品を作り、ゆずの消費が特産品の領域を越えて日常の商品とならないかぎり、これからは生き残っていけないと強く、考えるようになりました。
高知のスーパースター「ごっくん馬路村」ができるまで〜その1
高知のスーパースター「ごっくん馬路村」ができるまで〜その1
おんちゃんは考えました。100円で飲めるゆずドリンクを作ってみよう。イメージでは、頭の中で美味しい「ゆずドリンク」ができ上がりました。けれど、このときはまだ「ごっくん馬路村」という名前やラベルのデザインは出来ていません。
ずーっと後のことになります。来る日も来る日も、ゆずと蜂蜜を入れて商品の試作を繰り返しました。なかなかイメージの味が出てきません。無理やないかなぁと、あきらめかけた時もありましたが、また、気を取り直し試作を続けました。(農協のおんちゃんは物作りの素人やった)作ったサンプルは自分の子供に飲ませて感想を聞きますが、その返事はお世辞にも「うまい」と言ってはくれませんでした。
そんなある時、馬路中学校に赴任してきた岡村先生が面白い話を聞かせてくれました。この話は商品開発のヒントとなり、発想の転換をさせてくれました。
数日後、再度作ったサンプルを子供に飲ますと、やっと子供の顔から、にっこりとした笑顔で「おいしい!」と言う言葉が出ました。おんちゃんはこれで90%完成した!と思いました。
そして今度は、村のおばちゃんに飲んでもらうことにしました。村の集会で配布して感想を聞きました。おばちゃん達はいつもゆずしぼり(ゆず果汁)を使って、ゆず寿司を作っているゆず寿司づくりの名人です。
いろいろな感想が出てくるだろうと期待しましたが、皆一様に「おいしい」と言う声です。農協のおんちゃんに気を使っての感想でもあると考え、次にテスト製造して無料で配布しました。いよいよ製造に向け、施設と製造工程が頭の中で動き始めます。今日作ったものを、今日飲む場合は保存の必要はありませんし、殺菌の工程もいりませんが、いよいよ瓶詰めして売るとなると話は別です。賞味期限は何日にするか、また保健所に清涼飲料水の製造許可の申請も必要です。
しかも、テスト製造は一本ずつ手詰めでしたが、大量に作るとなれば、施設に多額の費用もかかります。おんちゃんは最初は一本ずつ手詰めで作りました。ここで、いよいよデザインのことを考え始めました。
高知のスーパースター「ごっくん馬路村」ができるまで〜その2
高知のスーパースター「ごっくん馬路村」ができるまで〜その2
デザイン契約を結んだ、高知市内のアークデザイン研究所の田上(泰昭)地蔵兄ちゃんに「作ってや」と依頼しました。田上地蔵はこの年、大阪から高知に帰ってきたばかりで、最初にした仕事がこのごっくんのデザインということになります。後に馬路村の歴史、イメージを作り替えるプランナーに成長しますが、地蔵とつくのには理由があります。(ここではそのことに触れません)
数ヶ月後、田上地蔵が仕上げて持ってきます。農協のおんちゃんはとんでもないデザインに言葉がありませんでした。しかし、やり直す考えはありませんでした。やり直しは一回目より、デザイナーのエネルギーが少なくなると考えたからです。
まあえいか、これでいこう。という事になりますが、この当時はあんまり売れるとも思わず、ラベルにも色々遊びを入れました。「馬路村公認飲料」もその一つです。この公認飲料は、実は当時の(故)西野村長の了解も取らず勝手に使ったコピーでした。後に西野村長が「馬路村公認飲料とは誰の許可をもろうちゅうがなら」ときつい質問を受けることになります。このとき農協のおんちゃんは、村長に地域一体の村づくりを説明して、公認の看板を下ろしませんでした。
そんなこんなで、昭和63年の6月、いよいよ発売となりました。
それでも沢山は売れませんでした。そんなときアークデザインの松崎君がやってきて「テレビで宣伝しよう」と言うのです。「100円のジュースは通販では大量に売れんでー」と言うのがその理由です。エリアを高知県内と決めて、テレビCMをしようと言いますが、馬路村のお店4店しか卸していませんでしたので、テレビで宣伝しても買うところがない。卸をしない理由は、原料費や資材費、製造コストが高く卸は出来ないだろうと考えていたからです。
農協のおんちゃんはそんなことは分かっていましたが「やってみようかな・・・」と村長に頼みました。「半分宣伝費を見てくれんろうか?」村長の答えは一言でした。「やれ」。
「ごっくん馬路村」のさわやかなCM。この収録の裏に子供達の頑張りがありました。主役のよしまさ君は収録時、「ごっくん馬路村」180mlを、一気に6本続けて飲みました。また、後ろで遊んでいる子供たちも、夏のイメージで収録はしていますが、5月の冷たい谷川で一生けんめい泳いでくれました。
商品の宣伝と共に、だんだんと馬路村も知られるようになり、村に遊びに来る人も増えてきました。商品のPRを通して馬路村のイメージが生まれ始めたのです。そしてこのイメージが、おいしい柚子のイメージに変わっていきます。
まだまだ長いドラマが続きます。爆発的ヒットにつながった年、製造が間に合わず困った年など。少しづつ応援してくれる人たちが多くなり、息の長いドリンクに育ってゆきました。今分かってきた事は作り立てが美味しいので、卸はやっぱり控えた方がえいということ。産直は作り立てをお届けできるのが強みだと言うこと。そんな、こだわりがやっぱり必要ではないかと思っています。
ゴツゴツで形は悪いけど、自慢のゆずを使用しております。
馬路村農協が販売しているゆず製品は、農家さんが手間をかけて有機栽培に順ずる形で育てたゆずのみを使用しており、ゆず加工品自体も保存料・着色料等は使用しておらず、お客様が安心して食べられるものを届けております。食べるものはおいしく、安心で、楽しいものでなければならないと思っております。